thumbnail 一問一答の一歩

0はじめに

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「手品師」は誠実性を解いた道徳教材であるが、仕事としてのチャンスを取るべきかの男の子との小さな約束を取るかのモラルジレンマがあり、読み応えがあります。

本サイトでは「手品師事件」を具体例を法律学的な観点から見るとどのような考え方が見えてくるかを説明します。

手品師のあらすじについては以下のいずれかのサイトを参考にするといいでしょう

判例集のように事件の概要を載せると以下の通りです。

※判例集の事件のようにしたかったため、本来の「手品師」とは別な選択をとったらどうなっていたかと管理人が想像して書いています。

(手品師事件)

被告Mはあまり売れていない手品師であり、原告である小さな子供Cに手品に対して明日も手品を無償で披露する旨の約束を口頭でした。

なお、原告Cは被告Mに対して連絡先を一切伝えなかった。

しかしその夜、被告Mは友人から連絡を受ける。友人によると被告Mが何年も前から出場を夢見て、オーディションを何度も落ち続けていた全国的な大きな手品の舞台から繰り上げ合格による出場ができるとのことだった。

被告Mは大きな仕事の舞台に出場したため、原告Cの約束をやむを得ず無断でキャンセルし、原告Cとの約束を果たさなかった。そのため、原告Cは被告Mが約束を守らなかったことにより精神的苦痛を被ったとして訴えを提起した事例となる。

1:約束(契約)の種類

1-1義務(債務)の存在による分類

債務とは、約束を守るために果たさなければいけない義務

  • 双方当事者に対価的な義務(債務)がある→双務契約(例:売買)
  • 片方のみに義務(債務)がある→片務契約(例:贈与)

1-2経済的負担による分類

  • 双方当事者に対価的な契約→有償契約(例:売買)
  • 片方のみが経済的損失→無償契約(例:贈与)

→お金の支払いがあると、約束に対する責任の重さは変わりうりる傾向がある。

→「手品師」の約束は手品師は何も受け取ることの無い無償の片務契約であり、「約束」の中では責任は比較的軽いといえる。

2:贈与(民法549条)

贈与……一方当事者が与える意思を表示し、相手が受託することで生じる契約(民法549条)

→要は物をあげること

※本事件では、労働力をあげているという考え方をとることができる。

「無償の片務契約」であり、男の子に有利な約束であるといえる。

2-1贈与の効果-約束を守るための努力をする必要はある?

考え方としては以下の2通り考えられるように思える

考え方1:どんな約束でも約束をした以上、守れるように特別の努力はするべきだ。

考え方2:男の子が対価を払っていない以上、怠慢により約束を守れなくても文句を言われる筋合いはない

→民法さんは考え方1の考え方、つまり約束を守れない状況にならないような行動は起こすべきだよねと考えている。

具体的な行動の例としては以下のものが考えられます。

  • 手品をやるための道具や場所の調達、(民法551条-財産移転義務の準用)
  • 自分の予定を再度確認して、本当に別の予定が入らないことを確認する(民法400条-善管注意義務の準用)
  • 約束した時間には男の子との約束がある旨を周りに伝える。(対抗要件具備の協力義務)

→手品師は約束を守れない状況にならないような行動を起こしていただろうか?

また仮に十分でないと考えた場合は手品師はどんな行動を追加で起こすべきであったか?

管理人が考えた例

不測の事態を、想定して、男の子と報告、連絡、相談できるをできる環境を作っておくべきだった。

2-2贈与の撤回

約束をなかったことにしていいのかは考え方は別れるとは思う。

  • 考え方1:一度約束をした以上、したものを勝手になかったことにするべきでは無い
  • 考え方2:約束とは言っても状況により、理由があればキャンセルしても問題ないとする立場。
  • 考え方3:贈与はあくまで手品師の気まぐれによる善意であり、男の子は失うものが何も無いので男の子や第三者が手品師に文句を言う筋合いは無い

→民法さんは考え方3を採用している。具体的には以下の通り

原則:贈与の約束はいつでもキャンセルできる(民法550条)

例外:贈与の意思が形になっており、気まぐれとは言えない状況の場合

  • 書面を用いた贈与の約束
  • 既に贈与が終わっている

今回のの手品師事件では状況を確認すると、

男の子はダメもとで明日も来てくれると尋ねており、手品師もどうせ明日も暇だろうと推測して口約束で了承している。このため、お互いに軽いノリの約束のように思える。

(ここが軽いノリといえるかも議論の予知はあるのでぜひ考えてみてください。)

→軽いノリの約束であると評価する場合、男の子との約束のキャンセルそれ自体が悪いとは必ずしも言えず、ケ-スバイケ-スとする考え方もありうる。

また、キャンセルをするにしても、ドタキャン(無催告解除や債務不履行)の倫理的な問題についても論点としてはありうるが、そこまで話を広げると収拾つかなくなるので、ドタキャンの倫理的な問題についてはここでは論じない。

3手品師の勘違い(錯誤)について

手品師は事後的とはいえ、以下の勘違いをした上で約束をしているということができる。

  • 約束した動機:(どうせ明日も暇だろう)
  • 約束での表示:「ああ、来るともさ」

この際に勘違いによるものだから約束はなかったことにしてほしいということは妥当なことであるかどうか。

3-1勘違い(錯誤)の分類

手品師は勘違いに基づいて男の子との約束をしたのだが、約束をする際に、どのような伝え方をすれば行かなくても比較的トラブルになりにくいか?

これを考えるためのヒントとして、法律学上における勘違いの2分類について紹介していきます。

約束に関して契約の条件とみなされ重要視される勘違いは「要素の錯誤」と呼ばれている。

要素の錯誤の条件は以下の通り。

  • 勘違いの内容は約束の内容として重要なことであるとお互いが認識していること。
  • 勘違いがなかったら約束を結ばなかったと容易に予想できるか?(因果関係)

※要素の錯誤でないものは「動機の錯誤」と呼ばれる。

手品師事件の場合、

  • 手品師が「明日は予定がないから行く」と理由も言った→要素の錯誤
  • 手品師が「いいともさ」とだけ言った→動機の錯誤

3-2錯誤による効果

要素の錯誤に含まれる勘違いによる約束であった場合、約束したことは有効であるとして必ず守らなければならないのか?考え方としては以下の二つが考えられる、

  • 考え方1:表示に対応する意思がないので、約束はなかったことにできる(意思主義)
  • 考え方2:勘違いとはいえ、相手と約束をしてしまったからには、約束は守るべきである(表示主義)

民法としては意思主義の考え方が主流ではあるが、表示主義の考え方も学説としては存在はしています。もしよければどちらの考え方の方があなたにとってしっくりくるか考えてみるとよいでしょう。

まとめ:民法の枠組みから考えられること

道徳教材を法律学的な観点でみたものはどうだったでしょうか。学校の道徳の教材の事例から考えてみたので、法律学をよりカジュアルに感じてくれたら嬉しいです。

ただ、法律学の内容は道徳的に万能でないことも同時に頭にいれてほしいです。

学校道徳では社会道徳が基礎となり個人道徳(生き方や価値観)を積み上げていく教え方をしています。それに対して法率学は社会道徳の限定的な一部分を対象とし、掘り下げていく学問です。例えば、法学では社会道徳で重要な観点となる個人ごとの心理的な感じ方の要因は考慮しません。

そのため、道徳的にどうあるべきかは、社会道徳の基礎のなる法学の内容に心理的な補正や自分の人生経験や価値観とも照らして補正を行うことで判断するとよいでしょう。

〇再掲:民法の枠組みから考えられること

  • 2-1手品師は約束を守れない状況にならないような行動を起こしていただろうか?
  • 2-1十分でないと評価する場合、手品師はどのような行動をおこすべきであったか?
  • 2-2一度した贈与の約束をキャンセルすることは本当に不道徳なことなのか
  • 3-1手品師が男の子との約束をするときに、どのような伝え方をするべきだったのか?
  • 3-2手品師は勘違いによってした約束であっても、約束したことは有効であるとして必ず守らなければならないのか?

補足:管理人だったらこう判断する

※2-2と3-2についてです。

「手品師」が誠実であることを訴えた作品であるので道徳教育という点では不適切かもしれない。

管理人が手品師Mと同じ状況になった場合、多分裏切って大舞台に行くと思います。

理由としては、緊急で入った仕事の重要性と善意で結んだ男の子との約束の責任を比較した時に、仕事の方が優先順位が高いであろうと判断したためです。

男の子との約束は善意によるお金が発生していない無償の約束です。これは男の子にとって失ったものはなく、約束をしていない状態に戻るだけです。このことは、手品師の責任は比較的小さいということができます。

また、男の子との約束は内容からして明日である必要性があるとはいえず、極端な話明後日に手品を行ったとしても、男の子は手品を楽しむという約束の目的を達成することができます。

それに対して手品師の大きな舞台の出演の重要性はどのように評価できるでしょうか。まず、本文中に手品師はどうせ暇だろうと考えて返事していることから、「暇と勘違いしたこと」と「明日も行く約束をした」ということは明らかに因果関係があるといえます。そして、手品師はその日の生活にも困っている状態で、いわば人生がかかった仕事がきたら、10人中9人は男の子との予定を変更することを検討するでしょう。つまり、手品師にとって大きな舞台の出演は人生がかかった重要性の高いものといえるでしょう。

これらのことから、私は善意で結んだ男の子との約束の責任を比較した時に、仕事の方が優先順位が高いと判断することから、多分裏切って大舞台に行くと思います。

ただし、明後日にも男の子が来ている可能性はあるので、一応明後日にも行ってみて万が一男の子がいたら理由を言った上で謝り倒すだろうなと思います。